前々から気になってた『君の名は。』の小説版を読み終わったわ。映画版の予告が凄すぎて公開まで待ちきれなかったの。
この予告が圧巻で、実際の景色を撮影したのではないかと見紛うほどのカラーリングとライティングとカメラアングル*1。
今のアニメってここまでできるのね。ラノベ原作でもこのクオリティが実現してくれればいいのに*2。
ここはラノベレビューブログだから詳細な感想は書かないけど、面白いかつまらないかで言えば間違いなく面白い部類に入るわ。第四章からの展開は予告から想像できなかった。単なる入れ替わりラブコメじゃないのね。
ただ、視点変更が下手。
ストーリーや小説という媒体の都合上、三葉と瀧の視点が入れ替わるのは仕方ないけど、スムーズに理解できないのよね。「あ、ここで変わった?」ってつっかえる。
ラノベだと視点変更時に「●●●」だの「☆」だの作品によっては「side○○」だのサインがあるから分かりやすいけど、『君の名は。』だと一人称が「私」か「俺」かを一々チェックしないといけない*3から面倒ね。あたしがラノベしか読まないせいかもしれないけど。
もちろんほとんどの箇所は文脈で判断できるけど、一八六~一八七ページは完全に戸惑ったわ。
瀧が三葉の記憶を思い出してるシーンで、「瀧くんに会えるんだろうか」と三葉視点で描写した三行後に、「三葉は俺に電話をかけてみる」と間髪入れずに瀧視点になるの。流石にこれはひどい。
それはさておき、何でもかんでもラノベにカテゴライズするバカは「表紙がアニメイラストで主人公二人は高校生だから、この作品はラノベだ!」なんて言い出しそうだけど、全然ラノベじゃないわ。
「瀧や三葉がオタ趣味とは無縁そうだから」ってのが理由の一つ(要するに本作の対象読者がオタでないから)だけど、そもそもラノベキャラに漂う「社会不適合者っぽさ」*4が全く無いのよね。コミュ症とか妄想癖があるとか。それどころか文化的に洗練されてる。
例えば、瀧と入れ替わった三葉が、マンションのドアを開けて眼前の風景に目を奪われたシーン*5。
私が立っているのは、たぶん高台にあるマンションの廊下。
眼下には大きな公園のような緑が、たっぷりと広がっている。空は色むらのまったくない、鮮やかなセルリアンブルー。その青と緑の境目に、まるでとっておきの折り紙を丁寧に並べたみたいに、大小のビル群がずらりと並んでいる。その一つひとつには精細で精巧な窓が編み目のように刻印されている。ある窓は青を映し、ある窓は緑に染まり、ある窓は朝日をきらきらと反射している。遠くに小さく見える赤い尖塔や、どこかクジラを思わせるような丸みを持った銀色のビル、一枚の黒曜石から切り取ったみたいな黒く輝くビル、そういういくつかの建物はきっと有名で、私にも見覚えがある。遠くにオモチャのような自動車が、列をなして整然と流れている。
文化資本高すぎぃ!
マックもモスも本屋も歯医者もない過疎地の田舎出身なのに、この描写力!
「色むらのまったくない、鮮やかなセルリアンブルー」や「一枚の黒曜石から切り取ったみたいな黒く輝くビル」なんて視点を持ってるラノベのJK、まずいないわよ!
瀧は瀧でこれまた上級国民っぽい環境なの!
通ってる高校*6は「西麻布」だの「合コンで代理店のリーマン」だのが会話で出てくるリッチな世界だし、バイト先はピカピカのシャンデリアが吊り下がる高級そうなイタリアンレストランだし! 父親は霞が関で働いてるし! 貧困とは無縁の環境*7。
キャラの文化資本が高いから、普通のラノベでは絶対に描かれない*8であろう「就活」「結婚」イベントだって抵抗なし。
瀧も、友人の司と高木も、それどころか地方出身の三葉も内定を得てる。
テッシーとサヤちんは結婚式を挙げる予定だし、奥寺先輩も結婚予定で、しかも大手アパレルチェーンに勤務。
相対的貧困率が一六%なんて悲惨な現実はどこへやら。誰も彼もがリア充に。
一般文芸の世界では、ぼっちコミュ症オタクの居場所はないのかもね。